デュークエイセス、谷口安正さんの思い出

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私は今回歌のレッスンを受けるようになるまで、歌を習ったことはないし、音楽活動というものをやったことはありませんでした。しかし唯一の例外は大学へ入ったとき、ほんの2~3週間だけ混声合唱団に所属していたことです。

それまでいっさい音楽に縁がなかった私ですが、大学に入った時に何かクラブ活動をやりたいと思い、入ったのがグリーンハーモニー合唱団(略してGH=ゲーハー)でした。
入部してまもなく、パートを決めるために一人ひとり発声させられました。私は人前で発声するなどということは音楽の授業しかなかったので、自分の番がきた時は緊張しまくりで、まったく声が出ませんでした。
その時ピアノを弾いていたのが後にデュークエイセスのトップテナーになり、デュークの全盛期に活躍した谷口安正さんでした。

そのときはテノールのパートリーダーである谷口先輩と、バスのパートリーダーのS先輩が立ち会っていたのですが、私の発声が終わると両先輩が「ちょっと期待はずれだな」と話し合っているのが聞こえてしまいました。
いま思えば、何も音楽経験がない高校出たての男の子が、恐そうな先輩のまえで(一年生もいっぱいいました)初めて声を出したのですから、ろくに声も出ないのは仕方ないのではと思いますが、そのときは大ショックで落ち込んでしまいました。
その後、他に入りたいクラブもあったので、GHは3週間もしないうちにやめてしまいました。

あの時GHをやめないで続けていれば、もっと歌の基本が勉強できていたでしょう。我ながら気の弱い根性なしだったと思います。

谷口安正さんはデュークエイセスの日本の歌シリーズ(女ひとり、筑波山麓合唱団、いい湯だな等)などで張りのあるいい声を聞かせてくれましたが、若くして脳出血で亡くなられました。

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この記事へのコメント

2005年06月23日 21:23
カンツォーネさん、こんばんは。
デュークエイセスの歌はTVでよく拝見していました。途中でメンバーが
代わりましたのでどうなさったのかなと思っていましたが、そういう事情だったのですか。谷口さんも長く歌い続けたかっただろうと思うと残念に思います。これからも歌えるカンツォーネさんは幸せだと思います。
上のような写真を見ると緊張感が伝わってきてドキドキしますよ。
2005年06月24日 00:38
GHの練習のとき、いつもテノールの方からは谷口さんの声がびんびん響いていました。
ちなみに私の声はバリトンなのですが、GHではバスにまわされました。バスの頭数が少なかったからだと思います。
カンツォーネはほとんどテノールなので、いま苦労しています。
2006年02月06日 09:42
カンツォーネさん、こんにちは。
読ませていただきました。

後にプロになって活躍する人がいたほどですから
実力のある、なかなかに練習の厳しい合唱団だったのでしょうね。
(写真は定期演奏会ですか?団旗が輝いていますね)
でも、そこで合唱に染まってしまわなかったから
今「カンツォーネ歌い」になってるわけですから
やはり、人生、巡り合わせですね。

ときに、デュークエイセスは私は名前だけしか知らないのですが、
『いい湯だな』『筑波山麓・・・』などは男声合唱の定番曲として有名ですよね。
全国日本の歌シリーズ、徳島は『踊りつかれて』って曲ですね。
カンツォーネ
2006年02月06日 22:19
ねこまっくさん、古いブログを読んでいただいてありがとうございます。
GHは全体練習とパート練習で、かなり厳しかった記憶があります。ボイストレーナーとして二期会合唱団の方が、たまに教えに来てくれました。
旧専門学校時代の大先輩に、私の大好きな作曲家、中田喜直さん、団伊久磨さんがいらしたそうです。(すご~い!信じられない!)

日本の歌シリーズの「踊りつかれて」は聴いたことがありません。各県に1曲必ずあったのですか? 私の住む千葉県は..?

2006年02月07日 00:36
そ、それはかなり厳しそうですね。
カンツォーネさんの青春の時代に、大学合唱団で
ボイトレを入れてるとこって、そうそうなかったのじゃないかしら?
力の入れようがうかがえますね。

ところで、中田喜直さん、団伊久麿ですってーーー!
日本の歌曲、合唱界の巨星ですね。
私も大好きです。
合唱の全国大会に出場した際、前夜のパーティーで
中田喜直先生と写真をとらせていただきました。
とってもやさしそうな笑顔と口調が印象的でしたよ。

日本の歌シリーズは、デュークエイセスが
全国をコンサートで巡る際に、御当地ソングが必要だってので
全国つくったらしいですよ。
なぜ、そんなことを知っているかというと
2005年の初ステージが、この日本の歌シリーズのピアノ伴奏だったからです。
残念ながら、千葉県のはやりませんでした。
千葉・・・やはり房総半島とかがテーマですかね(笑)
カンツォーネ
2006年02月07日 13:47
GHを指導されていたのは伊藤栄一さんという方で、奥様は声楽家の伊藤京子さんでした。でもコンクールに出る活動はしていなかったようです。

中田、団の両先生は、この後東京音学学校(芸大)へ入られたのですね。
この学校の教えのひとつに「外柔内剛」というのがあり、私も好きな言葉ですが、両先生とも「外柔内剛」だったのではと思います。
スー
2006年02月19日 03:28
谷口と同じ時代にGHに在籍していました。ブログに彼のことを書いてくれてありがとう。彼が他界して15年過ぎました。
カンツォーネ
2006年02月19日 16:25
スーさん、コメントいただきありがとうございました。
そうですか、谷口さんが亡くなられてからもう15年ですか..。
GH失格の私が、GHのことを書いて失礼しました。

私のアドグルにはGHの人が多かったので、今でもよくあったりしています。私の同期で音楽活動をしている女性も二人いて、このブログでも紹介しています。(7/17、2/10)
スー
2006年02月19日 17:24
私たちの時代のGHのヴォイストレーナーは、瀬山詠子氏(現芸大名誉教授)、平野忠彦氏(現東京芸術大学教授、二期会理事)、中村博之氏(現声楽家、合唱指導者)などでした。もう数十年前のことです。
カンツォーネ
2006年02月19日 17:58
スーさん、たびたびありがとうございます。
私は一度だけボイストレーナーの方にお会いましたが、二期会合唱団の中のユニット「クールアベイユ」のメンバーの方でした。中村さんだったかもしれません。
松崎 忠
2019年07月29日 21:41
谷口さんと同じ1940年生まれです。私の親友で、安正さんと親しかったワセグリ同期で広尾の生花店「花寅」の息子だった桜井常雄君(故人)から頼まれて、安正さんの父上が渋谷区議選に立候補された時、たしか軽トラに安正さん,桜井君と同乗して応援した記憶があります。安正さんが若くして亡くなり、誠に痛恨の思いです。デユークのトップテナーで「ジェリコの戦い」での名唱が見事です。I-Tuneで大切に聴いています。私は今もコーラスから離れられず世田谷区の二つの合唱団で歌っています。長文お許しください。

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